『ギャルとギャル男の文化人類学』に学ぶ
「ギャルとギャル男」という言葉からチャライ内容を想像するかもしれないが、本書は文化研究書であり、独創的で興味深い研究内容だ。
著者は元イベント・サークル(以下イベサー)の代表で、その後、大学院に進学し、現在も若者文化研究や学校講師として活躍されている荒井悠介氏。裏表紙には顔写真も掲載されており、美男子である。
渋谷の若者やイベサー社会が客観的に書かれており、イベサーの活動内容、彼らのライフスタイル、恋愛観、行動などをタイプ別に分析。さらに、金と女、ドラッグ、逸脱した道徳観などの問題点もヴィヴィッドに浮き彫りにし、2003年に起きたスーパーフリー事件についても言及している。
また、著者は、「サークル活動を社会勉強の場」と捉えており、サークル活動で培われたコミュニケーション能力(礼儀作法、サークルの運営、イベントの企画、交渉、発想力など)が将来のキャリアにどのように役立っているかを論じている。
本書を読み終わった後、私はサークル活動と著者の荒井氏に深い共感を覚えた。なぜなら、私が経験するバンド活動やローディー活動も社会勉強の場であると考えているからだ。また、勝手ながら、自らが経験したイベサー社会を研究していることも筆者のヘヴィメタル研究と重なって見え、親近感を持った(著者の荒井氏にとっては迷惑な話だろうが)。
以下、本書の言葉を引用しながら、サークル活動とバンド活動が一致している点を簡単に説明し、バンド社会の一部分でもご理解していただければ幸いである(両者が一致していることを証明するためにも、本文を一部引用させていただいた)。

一般の方から見ると、バンド社会が、社会勉強の場であるとは理解し難いだろう。奇抜な服装をし、街角にたむろし、ライブハウスからは騒音が流れ、夜中まで騒ぎ、非社会的な集団と思われているのではないだろうか。
しかし、彼らは、バンド活動を通じて、礼儀作法、先輩ミュージシャンや音楽関係者との付き合い、イベントの企画や進行、組織能力、外交、政治意識、酒席におけるマナー(注)を学び、さらに、ローディー活動においては、他者理解、奉仕精神を養うことができる。バンド社会の中でもさまざまな経験をするのだ。
イベサー社会とバンド社会に共通することだが、ライブハウスやクラブでイベントを企画・運営し、多くの人が関わり、金銭が動くのだから、これらの活動は一般社会の仕事と同じであると考えられる。よって、前述したような能力が必要となる。批判を覚悟で言わせていただければ、一般社会よりも格段に厳しい面(上下関係など)もあると思う。場合によっては命がけで行動することもある。
これらの経験は、他の環境においても適応させることができるので、一般社会とは無関係ではない。小さいながらもバンド社会もひとつの社会であるので、将来的にも有効なコミュニケーション能力を養うことができる。また、活動における苦悩や困難を乗り越えることによって、人間的にも成長することができると考えられる。バンド社会やイベサー社会の若者は、学校や集団から逃避した者も多いが、消極的な人間はいない。むしろ、上昇思考が高い人間が多いのはこうした理由が考えられる。
このように、サークル活動やバンド活動などの社会に身を置き、経験することは、コミュニケーション能力を養い、人格形成を高め、社会勉強の場として捉えることができると考えられる。
注:筆者は20代前半の頃、打ち上げも仕事のひとつと考えていたが、20代後半になると、ローディー活動を「修証一等、自己を磨き、精神を修養する場」と考え、ライブそのものを重要視し、人脈作り、酒、女、金、道楽、地位などを求めないという心境に至った。また、周囲からそれらが目当てだと思われたくもなかった。そのため、酒席には参加しなくなった。他に、下戸、酒嫌い、夜遊びをするタイプではなかったのも大きな理由であるが。ただ、バンド社会を通じて、酒席におけるマナーや幹事業務(それも50人クラス)を学んだことは間違いない。
荒井悠介著『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社、2009)
著者は元イベント・サークル(以下イベサー)の代表で、その後、大学院に進学し、現在も若者文化研究や学校講師として活躍されている荒井悠介氏。裏表紙には顔写真も掲載されており、美男子である。
渋谷の若者やイベサー社会が客観的に書かれており、イベサーの活動内容、彼らのライフスタイル、恋愛観、行動などをタイプ別に分析。さらに、金と女、ドラッグ、逸脱した道徳観などの問題点もヴィヴィッドに浮き彫りにし、2003年に起きたスーパーフリー事件についても言及している。
また、著者は、「サークル活動を社会勉強の場」と捉えており、サークル活動で培われたコミュニケーション能力(礼儀作法、サークルの運営、イベントの企画、交渉、発想力など)が将来のキャリアにどのように役立っているかを論じている。
本書を読み終わった後、私はサークル活動と著者の荒井氏に深い共感を覚えた。なぜなら、私が経験するバンド活動やローディー活動も社会勉強の場であると考えているからだ。また、勝手ながら、自らが経験したイベサー社会を研究していることも筆者のヘヴィメタル研究と重なって見え、親近感を持った(著者の荒井氏にとっては迷惑な話だろうが)。
以下、本書の言葉を引用しながら、サークル活動とバンド活動が一致している点を簡単に説明し、バンド社会の一部分でもご理解していただければ幸いである(両者が一致していることを証明するためにも、本文を一部引用させていただいた)。

一般の方から見ると、バンド社会が、社会勉強の場であるとは理解し難いだろう。奇抜な服装をし、街角にたむろし、ライブハウスからは騒音が流れ、夜中まで騒ぎ、非社会的な集団と思われているのではないだろうか。
しかし、彼らは、バンド活動を通じて、礼儀作法、先輩ミュージシャンや音楽関係者との付き合い、イベントの企画や進行、組織能力、外交、政治意識、酒席におけるマナー(注)を学び、さらに、ローディー活動においては、他者理解、奉仕精神を養うことができる。バンド社会の中でもさまざまな経験をするのだ。
イベサー社会とバンド社会に共通することだが、ライブハウスやクラブでイベントを企画・運営し、多くの人が関わり、金銭が動くのだから、これらの活動は一般社会の仕事と同じであると考えられる。よって、前述したような能力が必要となる。批判を覚悟で言わせていただければ、一般社会よりも格段に厳しい面(上下関係など)もあると思う。場合によっては命がけで行動することもある。
これらの経験は、他の環境においても適応させることができるので、一般社会とは無関係ではない。小さいながらもバンド社会もひとつの社会であるので、将来的にも有効なコミュニケーション能力を養うことができる。また、活動における苦悩や困難を乗り越えることによって、人間的にも成長することができると考えられる。バンド社会やイベサー社会の若者は、学校や集団から逃避した者も多いが、消極的な人間はいない。むしろ、上昇思考が高い人間が多いのはこうした理由が考えられる。
このように、サークル活動やバンド活動などの社会に身を置き、経験することは、コミュニケーション能力を養い、人格形成を高め、社会勉強の場として捉えることができると考えられる。
注:筆者は20代前半の頃、打ち上げも仕事のひとつと考えていたが、20代後半になると、ローディー活動を「修証一等、自己を磨き、精神を修養する場」と考え、ライブそのものを重要視し、人脈作り、酒、女、金、道楽、地位などを求めないという心境に至った。また、周囲からそれらが目当てだと思われたくもなかった。そのため、酒席には参加しなくなった。他に、下戸、酒嫌い、夜遊びをするタイプではなかったのも大きな理由であるが。ただ、バンド社会を通じて、酒席におけるマナーや幹事業務(それも50人クラス)を学んだことは間違いない。
荒井悠介著『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社、2009)
刺青師一代
いつものように予約してある本を借りに図書館へ行くと、職業体験中の中学生が受付に立っていた。まだ緊張していて、不慣れな様子だった。
私は「予約です」と、中学生にカードを渡した。予約していた本は、『刺青師一代』(山田一廣、神奈川新聞社、1989)。タイトルも表紙も中学生にはちょっと刺激が強かったかもしれない。

それはさておき、本書は、横浜の伝説的な彫師、彫錦こと大和田光明氏の一代記である。氏は、頭から足まで全身に刺青(初代彫よし氏による総身彫り)を施しており、その独特な風貌や千社札で飾られた仕事部屋は、写真集などでもたびたび目にする。
氏の刺青に対する情熱は並々ならぬものであり、刺青の陰湿なイメージを払拭させようと腐心し、その美しさと魅力を広めた刺青界の伝道師である。現在、日本で刺青が芸術として評価されるようになったのも氏の功績が大きい。
また、彫師であると同時に刺青史の研究家でもあり、国芳の武者絵のコレクターとしても有名で、氏の生き様を通して、刺青の歴史や文化などについても解説されている。
さらに、著名人との貴重な写真も掲載されており、氏の交友の広さからも、多くの人に慕われる人柄であり、刺青を広めるために孤軍奮闘していた様子がうかがえる。
残念ながら、本書の取材が終わるころに、氏は亡くなられた。きっと、どこかで今日の刺青文化を見て、喜んでいらっしゃるに違いない。
ひょっとしたら、将来、彫師の職業体験もあるかもしれない。
私は「予約です」と、中学生にカードを渡した。予約していた本は、『刺青師一代』(山田一廣、神奈川新聞社、1989)。タイトルも表紙も中学生にはちょっと刺激が強かったかもしれない。

それはさておき、本書は、横浜の伝説的な彫師、彫錦こと大和田光明氏の一代記である。氏は、頭から足まで全身に刺青(初代彫よし氏による総身彫り)を施しており、その独特な風貌や千社札で飾られた仕事部屋は、写真集などでもたびたび目にする。
氏の刺青に対する情熱は並々ならぬものであり、刺青の陰湿なイメージを払拭させようと腐心し、その美しさと魅力を広めた刺青界の伝道師である。現在、日本で刺青が芸術として評価されるようになったのも氏の功績が大きい。
また、彫師であると同時に刺青史の研究家でもあり、国芳の武者絵のコレクターとしても有名で、氏の生き様を通して、刺青の歴史や文化などについても解説されている。
さらに、著名人との貴重な写真も掲載されており、氏の交友の広さからも、多くの人に慕われる人柄であり、刺青を広めるために孤軍奮闘していた様子がうかがえる。
残念ながら、本書の取材が終わるころに、氏は亡くなられた。きっと、どこかで今日の刺青文化を見て、喜んでいらっしゃるに違いない。
ひょっとしたら、将来、彫師の職業体験もあるかもしれない。
THE HEAD CATがニューアルバムを制作中
MOTORHEADのレミー将軍、STRAY CATSのスリム・ジム師匠、THE ROCKATSのダニー・B氏によるロカビリー・ロックンロール・バンド、THE HEAD CAT。
このバンドは単なるプロジェクト・バンドではなく、ロサンゼルスを拠点にライブも定期的に行っており、今月もタトゥー&ミュージック・フェスティバルやラスベガスのハードロック・ホテルに出演いたします。
そして、現在、セカンド・アルバムをレコーディング中とのことなので、完成を待ちましょう。

http://www.theheadcat.com/
http://slimjimphantom.com/
このバンドは単なるプロジェクト・バンドではなく、ロサンゼルスを拠点にライブも定期的に行っており、今月もタトゥー&ミュージック・フェスティバルやラスベガスのハードロック・ホテルに出演いたします。
そして、現在、セカンド・アルバムをレコーディング中とのことなので、完成を待ちましょう。

http://www.theheadcat.com/
http://slimjimphantom.com/
内と外
養老孟司先生によると、反対語というのは、対立ではなく、補完であるそうだ。
例えば、画用紙に円を描く。円の内側と外側で物事を考えようとするが、内と外の両方を合わせて世界なのだ。画用紙全体を見なくてはいけない。他にも、男と女も反対の生き物ではなく、男と女の両方で人間なのだという。このように反対語と思われているのは、対立しているのではなく、補完しているのだ(注1)。

これを読んだ時、思わず声を出して納得してしまった。短い文章だが、大きな衝撃と説得力であった。これは全てにおいて当てはまる。
まず、内を自分とすると、外が他人になるし、自分の会社・学校と社会の関係なども同じ。もっと大きく考えれば、日本と世界とも考えられる。身近なところでは、バンドにも置き換えることができる。内が自分(ギター)で、外は他の楽器、でも、内と外を合わせてバンドである。他にも、バンドとスタッフなどでも考えることができる。
このように、外があっての内なのである。内側だけで、外の世界が見えなくなってしまってはいけない。この現象は、養老先生のヒット作『バカの壁』(新潮社、2003)にも書かれている。
内だけでなく、外も含めての社会なのである。当たり前と言えば、当たり前なのだが、反対語は、対立しているのではなく、補完し合っていることを学んだ。
また、逆に考えれば、自分は小さい円(内)でしかない。外の方がはるかに広くて大きい(画像では分かりやすいように中央に大きく円を置いたが、実際はもっと小さく端にあるだろう)。だからこそ、広い視野を持ち、他人を尊重することが大切さだと改めて痛感した。壁の向こう側を見ないとね。
注1:養老孟司、阿川佐和子著『男女の怪』(大和書房、2006)p.81
例えば、画用紙に円を描く。円の内側と外側で物事を考えようとするが、内と外の両方を合わせて世界なのだ。画用紙全体を見なくてはいけない。他にも、男と女も反対の生き物ではなく、男と女の両方で人間なのだという。このように反対語と思われているのは、対立しているのではなく、補完しているのだ(注1)。

これを読んだ時、思わず声を出して納得してしまった。短い文章だが、大きな衝撃と説得力であった。これは全てにおいて当てはまる。
まず、内を自分とすると、外が他人になるし、自分の会社・学校と社会の関係なども同じ。もっと大きく考えれば、日本と世界とも考えられる。身近なところでは、バンドにも置き換えることができる。内が自分(ギター)で、外は他の楽器、でも、内と外を合わせてバンドである。他にも、バンドとスタッフなどでも考えることができる。
このように、外があっての内なのである。内側だけで、外の世界が見えなくなってしまってはいけない。この現象は、養老先生のヒット作『バカの壁』(新潮社、2003)にも書かれている。
内だけでなく、外も含めての社会なのである。当たり前と言えば、当たり前なのだが、反対語は、対立しているのではなく、補完し合っていることを学んだ。
また、逆に考えれば、自分は小さい円(内)でしかない。外の方がはるかに広くて大きい(画像では分かりやすいように中央に大きく円を置いたが、実際はもっと小さく端にあるだろう)。だからこそ、広い視野を持ち、他人を尊重することが大切さだと改めて痛感した。壁の向こう側を見ないとね。
注1:養老孟司、阿川佐和子著『男女の怪』(大和書房、2006)p.81
アート・イズ・フリーダム
先月のトークイベントで、彫よし先生がおっしゃった「アート・イズ・フリーダム」という言葉に感銘した。
束縛されない自由な発想が、独創性を生み、それによって、自己も芸術も進化していくのだ。また、「アート・イズ・フリーダム」と心掛けておくと、より豊かな表現方法を構えておくこともできる。自由でいいのだから。この言葉には全てが要約されている。
Art is freedom.
束縛されない自由な発想が、独創性を生み、それによって、自己も芸術も進化していくのだ。また、「アート・イズ・フリーダム」と心掛けておくと、より豊かな表現方法を構えておくこともできる。自由でいいのだから。この言葉には全てが要約されている。
Art is freedom.